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寿司の果て

勝手に身体が緊張する

防衛反応が出る

母に身構えている

私を感じた





母は朗らかな様子で私に接しようとするが
私は自分が閉じて固まって
何かから自分を守っているのを感じた

そういう自分を客観的に感じられたのは初めてだった

母が何をしてくれても
閉じた自分には響いてこず
絶対に傷つけられまいと
心と身体が勝手に反応する

すると相手の好意は入ってこない

それを自分で解除するのは難しく感じた

かつて互いに傷つけあった人も
同じようなことを私に言っていた

「 なるほどこういう感じだったのか・・・ 」

相手と心の壁を隔て続けるその感じ

それをどかかで客観的に感じていた
実体験と傍観者体験を一度にしているような
少し不思議な感覚

母が私を気にかけてくれているのは分かるが
どうしても開けないような感じ

そして
テレビを見ながら時間をすごす

やがて何かを切っ掛けに気持ちの話になった

そこで分かったことは
母は私を心配していると言うものの
自分が安心したいために私をコントロールしていたのだな
ということ

そのことが淡々と分かった感じだった
そのことについて私も昔ほど感情的にはならない

そして結婚の話や私の今の状態の話などになり

母の習慣で私が私の気持ちを真剣に話し出すと
話をそらしたりする
「 このお寿司美味しいかしら 」
と、唐突に言い手を伸ばす

それは私が本当に深く真剣に話している実感が
高まっているときにドンピシャのタイミングで起こる

その行為に前の私ならそれこそ絶望感を感じ
やがて激怒したが
今回はかなり違った

単に母は私の気持ちに関心がないのだな
と思った

やはり母は自分自身の安心のために
私を、母が思う「安心」というフレームに収めたいのだな
と実感した

そしてそのためには私が鬱になろうが苦しもうが
それが本当にいやだと訴えても
何もピンと来ないのだな
と分かった

しかし母の中では
「 こんなに娘のことを思っている 」
という思いが確信として残る

それを分からない私がおかしいのだという論理だ


それは前から感じていたのに
今日は以前より余裕があった

声の調子が強くなっても
絶望的な気分は起きなかった

「 自分をしっかり守るのだ 」
「 母と私は別なのだ 」
「 私には私の幸せがあるのだ 」
「 母に理解されないのは哀しいが、それでも私は大丈夫なのだ 」

そんな気持ちがどこかで私を支えていた

そしてここ数日母と父のことを思っていたので
そのことを踏まえて話もした
「 お母さんはこういうお父さんで色々お金で苦労したから
  私に対しても同じ思いを抱くのかもしれないけど・・・ 」

などと話した

それは無意識に出た会話
特別母の気持ちを理解しようという意識はまるでなかった

だが結果的にそれは
母の気持ちに共感し寄り添った内容になっていたようだ

母は自分のことを話した
それを聞いて私も私のことを話した

そして母から
「 お前と私は別な人間なんだな 」
という言葉が出た

その前に私がそれを何度か強調していたが
母の口からその言葉が出たのは
もっと意味が大きい気がした

そして
それがあってたぶん母は
私には私の何かがあるのだ・・・ということが
ちょっとだけ感じられたようだ

私の気持ちがすごく晴れたわけではない
でも母が
「 また来月一緒に食べよう 」
という言葉に
「 ああ いいよ 」
とそっけなく答えられるくらいの気持ちになっていた

仲良くしようとも思ってない
理解し合おうとも思っていない
母のことを分かろうと思っていたわけではない
ただ自分の中に起こる感情をここ数日
意識して感じていた

そのことが結局
自然な形で母と私に会話をもたらした
喧嘩のようでありながら
傷つけあっていない

それは今までにないことだ

理解しあおうとしたり
愛し合おうとしたり
許しあおうとしたり

そのことが
コントロールそのものだったのか・・・
と思った

それは愕然とするようでもあり
ため息のようでもあり
ほんの少し解放されたような
安堵感にも似ている


良いと思っていることでも
それがコントロールになることを
心から感じた


わたしは
コントロールしようとしていたんだな
人も自分も
良かれと思いながら
母が私に自分の幸せを押し付けて
わたしの感情を無視し続けたように
母が私を
こんなに思っているのにそれが分からない
分からずやだと思い続けたように

わたしもずっと
自分と近くなった人に
母と同じコントロールを
し続けていたんだな・・・・


ごめんなさい


そして


ありがとう



大事な気づき

自分に気がつくほどに
人に気がつく

そして
誰かを嫌ったり問題だと思うことは
自分の中にあるそれの投影なんだな
と改めて再確認だ


逆に相手がこちらに投影していることもあるだろう

自尊心を持ちながら
境界を大切にしつつ
自分の感情を感じ
相手の感情を感じ
起こっている出来事を見つめる

まずは
自分の感情を感じる

その大切さを学んだ気がした

そして
ゆっくりこつこつじわじわと
母と私も変わってゆくのかもしれない

もしかしたら
変わらないのかもしれない

そして
それでもかまわないのだろう

自分が感じていることを話し
相手が感じていることを聴き
そしてまた互いに色々なことを感じて

コミュニケーションが
生まれるのだろう

こうしよう
ああしよう
こうあるのがいい
それはおかしい

いろんな思いがノイズになって
気持ちの声が聞こえなくなっていた

そして
「 気持ちの声を聴こう 」
とすることがコントロールになったりもする


今は実直に
自分の感じ方を感じよう

すると
出来事は起こる
偶然という必然がもたらされる

そして新たな理解が生まれる


適当に意味づけせず
ぐーーっと味わおう

本来
私は忍耐強いはずなのだ


あの父と添い遂げた母のように
私は忍耐強く受け入れることが
できるはずだろう


臨機応変にあろう


何かと比べることはない


ここにある
目の前の真実の中から
感じた感情を
感じよう


私が感じていることは
私の中にあるのだから


それが
私の知りたかったことなのだろうから


私を感じよう

何かを理解しようという気持ちを
手放そう

未来のために
今の自分を変えようとするのはやめよう

今ここに
ふんばろう

なにか
それが
とても大事な機がするから


とても
大事な気がするんだ

とても


とても


「 楽で 自然である 」

とは
自分が予想する以上に
本当に

「 楽 」 で 「 自然 」 

のことのようだ


こうあろう
こうしよう
などさえないのだ


なにかを
分かりかけている気がする
by olivelight | 2008-05-05 22:24 | 感じたままに
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