追記したら、またもや激しく長い独り言に。。。
行ってきました。 アロマサロン改めヒーリングスペースに。 3年前と2年前に一回づつ足を運んでいたらしい。 その頃はアロマサロンだった。マンションの一室を使っている。 場所はここ。 http://homepage2.nifty.com/yukoji/index.htm 江東区の東陽町。 私が受けたのは 「レインドロップテクニック」なるもの。 http://homepage2.nifty.com/yukoji/sakusaku/2_4.htm 受けてみた感想。 背中がとってもパワフル。 脊柱を意識して精油を垂らし独特の施術で刷り込む。 最後にしばらくじっとする時間があり、その時に自分で決めたアファメーションなども思い浮かべる。 ああ、もう背中が素晴らしい。 全然説明になっていないけど。 終わった後に「これ私も習いたいです」と言った。 すると「ああ、習うのは無料です。でも精油売っている所の会員にならなきゃ。そこは紹介制だから、なりたいて行っても買えませんよ」 「じゃ紹介して下さい!!」 かなりズウズウシイ。でもこのチャンスは逃したくない。 「。。。じゃ」 という事で色々と教えていただく。 なにやらその精油を受けとるのは狭き門だったらしい。 「精油売っても還元率悪いんです」 「ああ売ること考えて無かったです」 「他の精油より3~4倍高いんです」 「オーガニックならそんなモンですよね」 なにを聞いても全然動じない私。 すでに何か心の準備をしていたようだ。 いつの間に。私の知らぬ間に。 なによりその香りに痺れた。 顔の施術の時に(レインドロップとは別)、ある香りをかいだ。 「このとてもいい香りの精油はなにを使っているのですか?」と聞いた。 それはレインドロップテクニックをする前に施術者がつけるための専用の精油であった。おそらくブレンドなのだろう。 惚れた。 これだ。 聞くと11月頭にちょうど講習会があり、会員になれば受けられると言う。 「でも精油買わなきゃ」と。 買いますとも。鼻息荒いですよ=3 英国の伝統的なアロマセラピーも勿論好きなのだが、このネィティブアメリカンのヒーリングをモチーフにしたと言う、よりシャーマニックなアロマは、ものすごく私のしたいことに近い気がする。 肉体から精神にダイレクトに働きかける世界。 私はそういうのがとても好きだ。 肉体と魂。私にとってはヒーリングはこれがセットなのだ。 うーん、絶対どこぞの部族のシャーマンしてましたって感じ。。。 無事に会員にもなれそうだし、精油にも縁が出来た。 直観に従って本当に良かった。 さてさて精油の所を調べた。 ああ、あなるほど。プロとして使うか、一般消費者で使うかで会員の有無が別れるようだ。一般価格で買い続けるならディープな会員にならなくてもよいようだ。 そうだ、これは以前人から聞いた時に「こういう仕組みはキビシイなぁ」と引いて、それ以上HPを見なかったところだ。 我が家は母が健康食品で、まさに会員を増やしていく方式の購買をしていたので、正直好感が持てない部分があった。 だが。 私はとりあえず飛び込むタイプ。 今回はこの流れに動いてみよう。 自分の下に会員を増やそうとはサラサラ思ってないけど、 とりあえずのっけからプロの道。 海外の製品は、ノニジュースなどもそうだけど、こういう風に人を増やしていく方法が多いような気がする。国が違えばこういうのも当たり前なのかな。 本当に気に入った人同士が、製品の輪を広めるのは一向に良い事だが。うちの母は実はこれでエライ目にあったとぐちを言い続けている。それは母の選択なんだけど。 しかし日本で3番の売上を上げて海外の本社で表彰され、ボーナスで海外に随分行っているのだ。今さら悪い所ばっかり見てもね、て感じ。 余談。ああ、自分の中の、この紹介制で会員を増やしていくやり方のトラウマが分かったわ。。。 良いと思ったものを信頼できる人から買う。それだけのことなのだよね。いろいろな動機で動いている人がいるけど。 動機が大事なんだよな。こういうのって。 製品に対して体験的な信頼があって、紹介したいと言う場合は、やはりそういう信頼関係の流れが起きる。 利率がイイからイイ商売になるぞ、ていう波動で動いていると、どこか不穏な波動を感じたりする。製品に愛が無く、ただ「無農薬で色々な人が使っていてね」と言われても、ものすごくイヤナ気分になる。 年を取って来ると、友人からその手の話しが回ってくる事がある。 かつてファックスでその話が流れてきた時に、まだ内容を見てないのに、ものすごーく嫌な気分が湧いてきて、内容を見たら健康食品ビジネスの話だった。「うちは実家がやっているから」とアッサリ断れるけど。 健康をビジネスにするのはイイが、健康をお金に換算する時、弱っている人がいるほど儲かるという仕組みが生まれる。 それって健康と反してないか?と。 治療家という仕事は誰かが不健康であればイイナていうモンではない。母は商売人なので「お客さんにありがとうございました、て言ったの?」という聞き方を昔私にしたが、わたしは患者さんにお金を頂いたからと言う点で「ありがとうございました」とは言わない。 ヒーリングの時は言う。これ不思議ね。 選んでくれたという縁は大事だと思う。しかし健康を願ってやりつづけるのが、こういう仕事だと思う。「誰か具合悪くなって患者で来ないかなー」という気持ちでは出来ない。誰かの不具合でこちらが利益をあげるというのではない、と母に強く言った事がある。 そう、仕事だよね。 仕事は何を動機にしているかが大きいと、今日の施術帰りに考えていた。 去年から今年は随分色々な事を身につけた一年だったなぁと感じる。 結構色々な事を仕入れていますよ、技としては。 じゃなにがやりたいのかな?て思っていた。 多分それはなんでも良くて、相手に応じて変化するものかもしれないと思った。今日の帰り道。 私は「○○がやりたい」というのではなく「○○をやったことで相手に起きた変化を共に味わいたい」のだな、と思った。 ○○は手段なのだ。 それがヒプノであったり、NLPコーチングであったり、カードであったり、タロットであったり、クリスタルであったり、フラワーエッセンスであったり、鍼灸であったり、アロマテラピーであったり、メディカルハーブであったり、スリーインワン見習であったり、キネシオロジーであったり、ラビングタッチであったり、エンパスであったり、、、、他にはなにがあったかな?(笑)ホロスコープなんかもやりたいね。インド占星術を応用したハーモニクス占星術で身体のホロスコープを出したり。 あー、チャネリング忘れてた!(笑) その人のエネルギーに作用していくのなら、そしてそれがより変性意識に関わっていくのなら、わたしは望ましいと思っているのだと思った。 行為ではなく、そのプロセスで生まれる変化を目標としているのだな、と。それが味わいたくて、わたしは今までなにやらかにやらを学んできたのだな、と。 それは同時に私にとっても変性意識になれる仕事であると言う事だ。変性意識とは「没頭」とも言える。やっていて楽しいもの。 わたしは明け渡す系のワークが好きだ。どんなワークでもやっていると、大概何気に相手のガイドなり魂の同調みたいなものが起きてくる。私の身体はそれに応じて動いていく。手やエネルギーが相手の為に変わっていくような感じ。これ好き。ガイドはやはりその人に対してとても愛情深いと感じる。 時々、男性にチャネリングや施術をすると、私個人の意志で相手に愛のようなエネルギーを送っていると錯覚される事があった。 無論みんながみんなではない。ちゃんと分かって受けとってくれる方の方がずっと多い。 とりあえず思うのは、私から発せられるように感じられるエネルギーも、その場では私ではなくあくまでガイドのエネルギーだ。その場ではガイドに身を委ねるのが私の仕事だと思っている。その辺の区切りを今後はちゃんとつけていきたい。 急に仕事に対して熱く語っているな。。。 私は以前観てもらう機会があると、よく「あなたは働き者ですね」と言われた。「え、どこが?」て感じなのだが。全く働いてないときや、家事が全然出来ない時でもそう言われた。 しかし、思い返すと確かにひたむきな所はあるかも、と。 学ぶのも好きだけど、人に対して無になって施術をしているのも好きだった。その人のためだけに今自分は存在している、という状態はのめり込めた。如何に自分を無にするか。すると手はナチュラルに動いていくのだ。トリートメントの時など。 お灸や鍼も、そういう事があったんだよな。。。自己否定が強くて、いつも鍼を刺すのをビビッテいたけど(笑)選ぶツボは悪くなかった気がする。鍼もそれほど下手なわけではなかったと思う。患者さんにはそんな葛藤した姿を勿論見せられないので、その場では治療家として自信と責任を持って丁寧にやさしく打っていた。治療家の心の姿勢。それも治療の一つだと自覚があった。 しかし勉強すると頭で考えて打てなくなる。痛し痒しで、結局鍼灸はシンドイ印象が残っていた。 だが滅多に人を褒めないキビシイ鍼の顧問には「君は鍼灸師にとても向いている」と言われた。その人から取穴(シュケツ:ツボを取る事)がとても正確だと褒められ驚いた事がある。 この辺りは解決策が見えている部分もある。自分の使い易いサイズや太さの鍼というのがあるのだ。無理せずそれを使おう。以前は勤めていたので、備品だったからそうもいかなかったのよね。 精神を病んでいる人に鍼灸やマッサージ的な事はすごく効果があったんだよなぁ。わめいている人でも揉み出すと静かになって、あとで「お金はどこで払うんですか?」と笑顔で聞いてくれたり。次会った時にはまた元に戻っているけど。それでも継続したらよい結果が出るのだろうと感じたな。 そういや。 なんかついでにダラダラ語ろう。私の仕事話。 精神病院に勤めてすぐ、自殺者が出た。それは正直とくに珍しいことではない日常のようだ。しかしその事でのミーティングは行われる。まだ見習い状態の私もドクターたちのそれに見学させてもらった。 私と同じ漢字が名前が入った、確か同い年の男性。 ヒトゴトとは思えない自死。 彼は死ぬ数ヶ月前に頭蓋調整なるものを受けていた。頭蓋骨の歪みを調整するというものだ。カルテにその事が記載されていた。 彼はそれを受けた後「とても気分が良かった」と言うような事を語っていたと言う。「頭蓋骨の歪みが取れてスッキリした」と。 ドクターたちは「そんな事はあるわけがないです。精神的な病から来る幻覚的なものでしょう」と言っていた。 耳を疑った。 その療法が存在するという事は、実際にどんなに僅かなレベルでも、頭蓋骨も接合部分からの歪みを起こすと言うことがあるからではないか、と。それはレントゲンなどには移らない、非常にささやかなレベルであろう。しかし精神を痛めた人には、それさえも敏感に感じられる苦痛があったのではないか、と。 彼がもしその療法を受け続けられたら、命のベクトルはどうであっただろう。 でもしかの話はしても仕方ないが、可能性は高まる気がする。 僅かな目に見えないレベルでエネルギー的に施術が出来れば、病むという事も随分様相を変えるのではないかと思う。 別に病を憎む必要は全くないが、かといって、症状としてエネルギーが重く固定化するまで、そのアンバランスなエネルギーを感じる状態を否定するのもナンセンスだ。 精神病院は薬のオンパレードだった。患者とドクターの面談も見学させてもらった。それはそれは色々な人がいた。不思議な事とか。 落ち着くまで鉄格子に入れられている人にビクビクしながらご飯をあげに行ったりね。古典的な頭への電気ショックを施術するのを見たりとか。びっくりする事にだんだんと本当に正気になったりしてね。。今思うとすごい体験させて頂きましたね。必至で分からなかったけど。。。 かと思えば、そこの病院つながりの、一回鍼をした患者さんの出張治療に、久々に行こうと思ったら服毒自殺をされてしまっていたりね。。。色々なショックや学びを受けとった。 死を思う機会は多かった気がする。本当に繊細で敏感な人たちの集まりだった。 私はそこで家族療法を見学させてもらっていた。何例も見せてもらった。 タダ働きのような期間もあって、あまり好い思い出ではなかったが、今思うと、貴重な実証例を見せてもらっていたんだな、と思う。 やはり人生には無駄な事は無いんだな。 わたしは自分に何も残ってないような気分があった。 しかしこうして振り返ると、一つ一つの場面でちゃんと学びがあったんだなて感じる。 ヨカッタ、動き出せる気がする。 過去に感謝ですね。 私は心のどこかで未だに片付けられない自分を少し責めている。 でも本当はこれさえも受け入れる時なのだ。 それは「できなくてもイイじゃん」と言うものではなく、なにかもっと深遠な感じ。それが見え隠れしてきた。 私の魂の目的と、おそらくこの片付けは連動している。 魂の目的に従って動こうとする時、わたしはこの家を目的を持って機能させるのだろうなぁ、という予感。 「魂の家」と聞こえた気がする。ソウルハウス?スピリットハウス? スピリットダンスという言葉を急に繋がる。 スピリットダンス。 ああ、きっとネィティブアメリカンのヒーリングワークってそれだったんだ。 大地を感じてスピリットが躍動して。 ヒーラーと呼ばれるシャーマンは、その為の儀式やテクニックを知っていた人たちなのではないかな。大地との連動。魂の躍動。 大地と魂のコラボレーション。命のダンス。スピリットダンス。 大きな夕焼けが見えるよう。。。 LEIKOさんがそういやメールでこんな事を言っていた。 エハンさんの本を読んで。 シャーマンは、自分を壊して再生する事の出来る人で、 これからの時代は、全員がシャーマンにならないとだめだ、ってさ。 自分をバラバラにする。 薔薇薔薇、だよね(笑) シャーマン。 う~ん。 シャーマニック。 ネィティブアメリカン。 大地との連動。 命との躍動。 スピリチュアルなダンス。 この辺に頭がシンクロニシティー。 さてさて。 動きが始まってますな。
by olivelight
| 2006-10-27 00:44
|
ファン申請 |
||