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ライフログ
わたし、おめでとー!!
おたんじょうびをむかえました。

今日は一人のおたんじょうびを堪能してみました。

わたしは幼い頃から一度も家族に誕生日を祝われたことがないのが
寂しさのトラウマになっていました。

たくさんの学びをうけとってきて
今年はじたばたせず、一人のわたしをなにもせず感じてみました。

以前ならなにか少しでもそれらしいイベントをかんがえたかもしれません。
少しでもなぐさめになるような。

でも今年は一人のわたしのココロをそのまま感じて見ようと想いました。

とてもとても寂しくて、この気持ちをなぐさめてくれるなにかや誰かを
求めている自分を感じました。

きっとそれは、いつもこころやからだのどこかで小さく感じていて
たんじょうびの日は、それが濃く出てくる

そんな感じでした

だけど




きもちをそのまま


感じられるのなら


もうごまかさなくていい




なにかで埋め合わせしなくてもいい

これが感じているままのこころ





本当に感じているものを感じられるということ





二日の午前0時を過ぎた時から、寂しさは募ってきた
そして昼ごろピークだったかもしれない
いろいろなことを感じた


そしてありし日のことも思い出した


親には放っておかれても
可愛がってくれた昔の大人のこと

自営の洋裁店の我が家で働いていた、夜間の高校に通っていたお姉さんが
私を妹のように可愛がってくれて、たんじょうびにベティちゃんのお茶碗をくれた

子どもの時に大人からもらったプレゼントで覚えているのはそれだけだ
もらったのもそれだけだったのだろうか

ほんとうにうれしかった
あのときの事を思い出すと切ないけどうれしい
小学校3年生くらいかなぁ




あの日々からもう数十年経ったのだ



経験が重なり
学びが深まって
そのまままの気持ちを味わえるようになった
自分のこころを受容できるようになった

わたしがやることは
ごまかすことではなくて
寂しいなら寂しいとかんじてあげること

すると
やがてゆっくり
そのこころはまるくなる

感じてあげると
最初はいたかったものも
ゆるやかに角が取れて
柔らかくいだけるようになる


そして
私のほんとうの心がはじまる



だから今日は感じる日にした
ケーキも買わず、どこかに行くことも無く
わたしのままでいた

そしておもった

「わたしは生まれてきた
 あの日 生まれようとおなかから出てきた
 わたしには生きる意志と力があるんだ
 そして私の命が与えられた
 私が生きている
 この命がある
 それがこの人生のギフトだ 」




日常を悦びで生きている人は
繊細な感性があるからできているのだろう

とくべつなことが幸福だと思えば
日常にある繊細な悦びを見逃すかもしれない

傷ついてきた人間は
おそらく日常を繊細に味わえる感度が高くなる気がする

そして日々の中の普通である幸福を堪能するのだろう


特別であっても
普通であっても
それは同じ価値のような気がする


その人の生き方
いろいろな人がいるからいい

自分には自分の
人には人の
それぞれの生き方の大事にしているものが現れるのが人生





性同一性障害の方がテレビに出ていた
胸の手術をするかどうかを悩み、世界を旅をした。
そして決心をした。

その方が言っていた。
私の解釈になるかもしれないが、こんな風に聞こえた。


 手術せず自分の姿で生きるのも、
 誰かへのメッセージになるのではないかと悩んでいた。
 精神的に自分が男であると自己理解できていれば、
 肉体にとらわれなくてもいいのではないか。

 けれども、身体への違和感がどうしようもなかったのも事実だった。
 手術を決めて思った。自分のことさえなんとかなってないのに、
 人のことや周りの事を気にして 勝手に背負い込んでいた。
 まずは自分だった。
 
 そして以前は、手術をしたら自分が変わってしまうのではないか、というのも
 踏み切ることに悩んでいた理由だったと思う。

 手術をしても、しなくても、自分は自分だと思えると思ったから
 胸を取ることを決めた。

 自分が性同一性障害であること、自分の身体に対する違和感は
 一生あるだろう。
 子宮や卵巣を摘出すれば終わるものでもない。
 向き合い続けながら、自分のなかで答えを出していくのだろう。

http://tv.yahoo.co.jp/program/20685/?date=20091102&stime=2000&ch=8208
番組は明日もある


この言葉に感銘を受けた。

わたしは片付けられないのと仕事ができないと言う状態にある
鬱傾向はゆっくり回復しつつも、時々顔を出す。
以前にくらべたら全然軽いけど。


そのことで自己評価をしてはいけないな、と思った。
分かっていても、その状態に自尊心をもてなかったりする。

でも、この中で私も成長をしている
この中で自分の在り方を模索してる

これもまた私の人生の一部として受け入れてみる

すると
変わらなければならないものなのではなく
どう向きあっていくものなのか、に視点が変わる。


片付けても片付けなくても
私という人間の自尊心には変わりは無い

そう思ったら
片付けてしまってもいいかな
と、逆説的にちらりと思えたりもした

やがて考え事をしながらボーっとして
無意識に動いている
そんな自分に気がつく日が来るのだろう

たぶん、片付けても片付けなくても
どっちでも私は私なのだと自然体で思えたとき
それは起こっているきがする



現象が自分なのではなく
自分が自分だ


そしてその自分もまた
様々な刺激と反応による認知の構成要素で組織された細胞体だ
新たな刺激に柔軟になれば、新たな認知を再組織化する

それが生命体というものの仕組みのような気がする





長くなったけど



わたしから


わたしへの


おたんじょうびおめでとう!!




生まれて


生きて


命があって


ありがたい日だ







寂しさを感じてあげると
こころは柔らかく満たされる
ゆっくり時間はかかっても






寂しさも柔らかく抱きとめられたなら




わたしはきっと




今日




一つ大人になったのだ

















  
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by olivelight | 2009-11-02 23:28 | 感じたままに
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