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なぜ?でも紹介  そして父  そして秋
■好きな人が夢を持ってた。しにたい…

http://anond.hatelabo.jp/20081125105143

おとぎ話しなのか、リアルなのか分からぬが、非モテ男子話。

うーぬ、この屈折の仕方
遠い昔の自分を思い出すような出さないような






恋愛系じゃないけど。
(思春期は桑ッチョに夢中♪大学生活は普通に?)

そうか、私、屈折してたんだな

望んでいるものを望んでない振りをして猛烈に望んでいたり
望めば望んでいるほど望んでいないと錯覚したり


いま父親のことでプチもがきチウ。
憎しみは終わっていたつもりだが、後遺症のように奥の奥が麻痺している。
そのことに”しっとり”していたら気がついた。

ディープな感情を俯瞰してメタ認知する感覚は「しっとり」ぽい。
自分の感覚に意図的に埋没する感じだからだろう。

肉体的暴力を振るう父を殺したいほど憎んでいた10代。
それをしても私が裁かれるだけと、空しくなった16歳。

人は苦しみに耐えるしかないのかと思った。
空しい、本当に無情で空しい、と思った。

そしておそらく私は麻痺した感情を補うために、父の優しかったところや、愛情深かったところを取り戻そうとし、その細い糸を握り締めて生きてきた気もする。

まるで蜘蛛の糸にしがみつくカンダタのように。

小学生の時に・・・たしか5年生・・・『蜘蛛の糸』の物語のテープを一斉に聞いて、
そこから浮かんだものを絵にする、という図工の課題があった。

クラスのほとんどが地獄で糸にしがみつくカンダタを描いた気がする。
今ふと誰かは蜘蛛を踏むのをやめる絵を描いていたのが見えた気がした。
一瞬。

沢山の赤黒い地獄の絵。 
不思議だけど地獄って聞くと小学生でも赤黒く描くのね。

その中で私は、明るい淡い水色で蜘蛛の糸をたらすお釈迦様を描いた。
蜘蛛を手に持ち胡坐をかき、雲の小さな穴から糸を垂らすお釈迦様。
その極楽の絵を描いたことが自分でも印象に残っている。
描いている自分も心地よかったように思う。

そしてその後の人生は、
まるでその糸を賢明に掴んでいる自分だったような気がする。

「地獄に戻りたくない」
その一心だったのではないだろうか。

しかし
地獄も天国も私の観念だ。

沢山の学びの蓄積が私にそれを伝える。

わたしは今
その糸を手放そうとしている気がする。

苦しいのだ。
もう細い糸にしがみついていることが、おそらく。

本当に感じているものを感じられず、痛みや憎しみの感情を
ただただ愛情や善いと感じられるものに置き換えてきたことを、
もう卒業したいと思っているようだ。

受けとめきれない痛みや重みに、
心は代償的なバランスを無意識に取ろうとするようだ。
バランスを欠いたまま、痛みや重みに観念や思考で向き合えば、
葛藤がより重くなることも在る。


そして私は今、葛藤を柔らかく受け止めようという気持ちが育ち、
より奥にあったこの苦しみと対峙できるようになったように思う。


小さい小さい、小学校にあがるずっと前から、
父は私に戦争の苦しい体験を語って聞かせた。
仲間の誰が手洗いで首吊りをしていたとか、
上司の激しいイジメと暴力で優しい友が自殺したとか。
銃撃戦で寺の息子が突然飛び出しお経を絶叫しだして、
静止したにも関わらず、彼は敵兵の銃撃の嵐に当たって死んだ、
でも死に顔はやすらかだったこと、とか。

それが17歳という、少年兵ともいえる父の戦争体験の一部。

わたしは父が45歳の時に生まれた子ども。
今ではその年齢で子を授かるのも珍しくないが。
当時、友の中で自分だけがタイムスリップしているような感覚にしばしばなった。

そして父に背くと顔を強く叩かれた。
視界が真っ白になって、記憶が飛ぶような感覚。
大柄で大きな手の父の感情に任せた張り手は、殴られているようだった。

毎夜酔っ払い、週末はギャンブルに明け暮れ、昼間は殆どゴロゴロ寝ていた。

昼過ぎにスーパーに買い物に出かけた。父は主夫だった。
幼い私の手を繋いで父は買い物に行った。

心臓病でひどいアトピーの私を毎月病院に連れて行った。
心音を風呂場で心配そうに確かめた。
めったに自分からおねだりをしない子どもだったが、一度、駄菓子屋の前で
「お菓子食べたい」と言うと、父はとても優しい顔をして、
「食べたいのか?いいよ」と一緒に店に入ってくれた。

あの時の「なんて優しい人だろう」という気持ちと、その時の表情と風景は今も覚えている。

その父に子どもでは受けとめきれぬ話しを延々と聞かされ、思春期には私の考えが父と合わないと殴られた。

京都の大学の合格通知を喜んで見せると、父は一瞥して捨てるように手から離した。その行為はショックだった。
大学進学が決まると家を出ることになった。
父は私を仏壇の前に追い詰めて20発弱頭を殴り続けた。
「俺はお前がかわいいんだ、かわいいから殴るんだ!」と。

父の暴力から離れるために私は家を出たかった。

京都で布団が送られるのを待っていると届かない。
家に電話をすると父が送るなと言ったと言う。

父のそのいうことを聞くような母だった。
母は父に殴られる私を見て、後で部屋で泣いてる私に、
根拠もなくわざわざ「お前が悪い!」と言いに来るような愚かさを持つ人だった。

誰も私を助けてくれない、そう思っていた。

京都で初めての一人暮らしの夜、
私は薄いカーペットの下の真新しい湿ったコンクリートの冷たさを感じて
凍えるように震えて眠った。
1階だったので底冷えが直に来た。
「なぜこんな思いをするのか?」
それを父に言うと笑っていた。

私がどういう経験をしてどう思うかは父には関係ない。
自分の気持ちしかない。そして私に暴力を振るっていた。

私が父に殺意を抱いていたのは至極健全だと思う。

だが父は言ったという。
「よく一人で生活できるなぁ」と。
母は「あの子はあんたが嫌いなのよ」と言った、と。
すると父はビックリしていたと言う。本当に意外だ、という感じで。

父は傲慢な人だった。
非常に自分勝手だった。
そして心が壊れていた。
戦争に行く前はとても優しい人だったという。


しかし町内会の役員などはとてもよくやっていた。
区に政治家が来て講演をするときは、早めに行ってその政治家と話したりしていたらしい。

勝手で周りを困らせるが、男気のある不思議なリーダーシップがあった。
戦争で捕虜の時にも、その気質で周りを助けていたようだ。

周りの殆どが反対しても、一人自分の意見を当たり前のように貫ける。
そういう気質は自分にも感じるところがたまにある。
自分の感覚に実直なのだ。


わたしは今まで父に同情して、そしてもらっていた優しさにしがみついて、
他の苦しさを見ないようにしていた気がする。

そうしてなんとか生きていた気がする。

けれども
そのままでは深い安らぎは得られないようだ。
愛と憎しみと暴力が混在し、愛するほどに混乱と恐怖が増す仕組みがあるようだ。

愛することは恐怖でもあったのだ。

そして
恐怖を埋めるために愛を探して当てはめようとするのは、
今まで生き延びるためには必要なバランスだったのだろうが、
これからはただシンプルに「愛は愛なのだ」と思えればいい。

けれどもそこが麻痺をしている。
自分の力だけでは防御はできても、開くことは難しい。
多分その為に学びがあるのだと思う。
今までの自分のパターンやシステムを再構築する学びが。


父からの愛と暴力。
それが連鎖的に私に無意識的な影響を与え続け。
愛することを望みながらも、愛が恐怖と重なるシステム構造になっていた。

愛されることと暴力もかぶっている。
信頼して委ねることが、暴力に耐えるために心と身体を麻痺指させていたシステムとリンクしているようだ。信頼を深めようとすると急にふと真っ白く、気持ちがバーンアウトするような感覚があるのに気がついた。
そんな時に不安が来ると、依存的な安心感を欲していくのだと感じられた。
見えない自分を、見えるもので補いたくなる。

屈折している。
いや、そうして守ってきたのだ自分を、と理解するところか。

愛するほど疑うことや、愛するほど憎むことや、
愛するほど傷つけられるに違いないという思い込みや、
だからその前に離れよう、とする自虐的な行為。

その構造を新たなパターンに再構築しよう。
無意識に寄り添う自然なスタイルで。

意識ではもう殆ど楽になっているから、そのようなことは起こりえる気がしない。
だが、ここ数日の気付きの中で、意識では気がつかぬ無意識的な信念体系を
身体感覚で感じているうちに、これらが浮き彫りになった。

父を憎みながら、父を愛する自分が、今まるで父の輪郭をなぞるように、軽ウツ状態を一人になると呈する。

わたしは父と境界を持っていなかったのだと改めて気がついた。
父と同化することで、父を感じようとしている気がした。

しかし私は個になりたい。
尊重されることがなかった「自分」という人格を、
いまここからでも健やかに形成したい。

それには父の問題は父の問題と、同情するのをやめ、彼に返すことだ。
自分で受けとめきれず幼き私に擦り付けた寂しさや怒りや苛立ちや孤独や深く傷ついたその心の痛みを、彼は彼の問題として受けとめなければならない。

幼き子どもに見境なく八つ当たりしたり、その子の心の影響も考えずに、大人でも辛い話を、無意識優位の時代に酔っ払った勢いで話し続けるものでもない。

父は弱かった。
心が優しいということは強さが必要だ。

しかし弱くなって当然の経験でもある。
けれども、それでも父は自分の心は自分で引き受けなければならないのだ。

そして私も父への同情で、自分を許したり慰めたりするのをもうやめなければならない。
それをしていても、父以上の自分の幸せを許すことはできないと感じた。

私の心は父のものでもないし
父の痛みも私のものではない。

父と娘の境界が必要だったのだ。

父が好きだった。
父を愛していた。
だから猛烈に憎んだ。
自分の命が削られるほどに、
自分の人生が父とそっくりになるほどに。

それを終えるときだ。

卒業だ。




父に



さようなら




あなたの苦しみを

わたしはもう引き受けない




書いて読み返していると
私が今、生きるための自分を立て直しているのは
全うなことをしているのだなと思えた。


生きるために努力をしよう

母や父の依存の犠牲になるのは終りにして

彼らの問題は
彼らの問題

そう思うことが、むしろ相手を尊重していることなのだ


生きるために動こう

母のためにも
父のためにも
自分を生贄にして殺す必要はもうない

両親に言うことを聞かない悪い娘だとののしられてもかまわない
言うことを聞いていたら死んでいたに違いない

親を心で捨てることだ
憎むのではなく、淡々と親の間違った私への影響を捨てるのだ
憎むことはまたエネルギーを注ぐこと

もっと淡々と在ればいい



私を取り戻そう

生贄をほしがっていた親の言うことなどきかなくてもよかったのだ

幼き日から私は彼らに心と肉体を与え続けてしまっていた

けれども存在を否定され続けた


生きることに罪悪感を持たされた
存在することに赦しが欲しかった


それは私の両親からは与えられることはないのだ



だから

自分が生きるために生きればいい



愚かな親も存在するのだ

その親から自分を守らなければならない子どももいるのだ


私もまた生きるために健全に愚かになろう
もう今更親に何を言われてもそれを守ることが正しさではないのだから
親にとっての不正が、私の命にとってYesなのだ。

だから親にとって愚かなわたしになればいい。
これからどんどん

それが 自由 ということのはじめの一歩かもしれない


愚かでいい
自然体で生きよう
この命に実直に
安らぎながら
身体の温かさを感じながら



私の鼓動を信頼しよう



それに気がついた
秋の日だ




秋は私の産まれた季節だ





大好きな


秋だ
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by olivelight | 2009-10-18 13:47 | 感じたままに
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