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なんの根拠もなくても
電車を反対に乗ることがたまにある。

しかし今日のボディワークからの帰り道、
それまで間違えるとは!
何回その電車に乗ってる!?

そして乗り換えの駅でもまた反対側に歩いていた。

「 よし、わかった 」

今日は逆の日だ。
思っていることとは反対になるから、最初から逆をねらう。

お金のことでアワアワしたり、掃除のことを考えたり、やることのいくつかを思っていたが、その逆をねらう。

「一人カラオケに行こう!」

やることを忘れてパーッと。

普段は歌わない英語の歌をたどたどしくとも果敢に。
最後はやっぱりサザンになるとても。

2時間半後せいせいして、たまにしか行かないスタバで、あまり頼まないドリップコーヒーのショートを注文。するとそれは100円でお変わりが出来ると知る。カフェインレスもあるのだとも知る。これはこれは。

寄るときはたいがい混んでいる店内が今日は空いていた。
これも逆っぽい。

いすに座り鞄の中のいるものいらないものを整理した。
要不要を分け、ものが見えてくると、配置も見えてくる。

そしてコーヒーを飲みながら思った。
最近の懸案事項を。

「 自信を持ってみよう。根拠が無くとも 」

それが逆からの答えだった。

不安の根拠がないなら、自信も根拠無く。

意味もなく、理由もなく、そのことに自信を持ったら・・・

それは 「 自然体 」 かもしれない。

不安が悩みの種となって、不安の身を実らせるなら
自信を根拠無くもって過ごしてみたらどうだろう。
ゆるい自信を。当たり前のように自然に。

逆の日ならその実験もふさわしい。

ただ安心してみるのだ。
ただくつろいでみるのだ。
なにもなくとも ただ。

すると
別になにも失うものはないのだと気づく。

不安は
今よりも欠乏したり、悲しくなったりするのではないか、という想像から起きるようだ。

しかし
たとえそうであったとしても、それが自らを苦しめるというのとは違うようだ。

漠然とした根拠のない
ゆるくて普通ぽい自信を懐に温め
ぬるくなったコーヒーを飲む

これはこれでアリなのだ。

今まで脳で沢山の不安を体験をもとに創造していた。
そしてそれが馴染みのある感情になって、何度もそこに帰っていた。
それは馴染み深いから。
知っている自分だから。
怖れでさえ馴染みがあるならそこに帰ろうとする。

だから
逆の日は根拠もなく自信を持って。

すると
不安でも安心でもない漠とした気持ちがあることを知る。

これはいい。

夜の手前の名付けがたい色みたいな。
昼と夕方のあいまいな境目みたいな。

自分というものがこの空間に溶けていくような。
わたしが空間にいるのではなく
空間にわたしがいるみたいな。

個であって他なのだ。
私であって場なのだ。


時間と空間のマトリックスの点に
コーヒーを飲んでいる私がいる。


これが 存在 しているということだろうか。


一つ分かることは
ますますコーヒーがぬるくなった
ということである。


だが それもわるくない。
いつまでも熱いコーヒーなどないのだ。
エントロピーがコーヒーに溶けている。


逆で生きる日のエントロピーはどうなるのだ?


だらだらと書いているわたしの
エントロピーは増大しているのだろうか。




まぁ どうでもいいか。。。。。










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sent from W-ZERO3
by olivelight | 2009-05-18 20:43 | 未分類
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