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悲しみのおすそ分けの続き
まだまだあるらしい

悲しみのおすそ分け

無意識がつけたタイトルのままに





心と身体は連動している。

だが時としてそれらを切り離したほうが
命を生かすことになることがあるのだろう。

無意識という命の働きがそれをするのだ。
意識では元気に活発に夢を追って、と思っていても
無意識はその生命を維持するためのバランスをもたらす。

時に鬱や、様々な状態や症状などで。

私は近頃 脳幹 が活性化されていたのかもしれない。
そう、脱力状態。
生理学的リラクセーション。

「活性化」と聞くと、まるでとても活発で生命力が盛んな感じがする。動的な感じ。

だが脳幹の活性化が「生命維持活動のバランス」とするなら
「動かないように休める」こともまた重要なバランスをとる働きだ。

わたしはそれだったのだろう。動こう動こう、としていたのだ。きっと本来は兄のように意識で自分をとことん頑張らせようとする傾向があるのかもしれない。
うん、多分あると思う。

そうならば、私は鬱という命がもたらした
無意識的症状によって生かされてきたのだ。
動かないように動かないように。私がそれに気がつくときまで。

意識的になりすぎると、無意識のバランスを超えることがあるのだろう。
どこまでも自分の肉体をコントロールして
目標や目の前のなにかをさせ続けるかもしれない。
もしくは言葉にならぬような感情や心の声よりも、
意識的に明確に感じられるようなものを自らに与え続けるかもしれない。

きっと兄はそうした傾向をもっていたのだろう。
学びにいたる前の私とて。

それは自己重要感と関わっているのかもしれない。

兄が亡くなった時の葬儀で上司の方が仰っていた。
「彼は病床の中でも「自分が行かなくちゃ」と言ってた。その時正直「おやっ?」と思ったんですよ。彼がいなくても職場は助け合ってやっています。なぜ倒れてまであんなに思うのか・・・」

仕事は兄にとっての自己重要感を満たす場だったのではないかと思う。

私は病床の兄に「おまえの生き方は人間として恥ずかしい!」と大きな声で言われたことがある。怒鳴られたに近い。なぜ急にそんなことを言うのか。大きく傷つき腹立たしくなった。
結局それが兄との最後の会話になったのだと、今思い出した。

私は自分を恥じていた。そのことを心許せる人に3ヶ月前に打ち明けた。
もしかしたら12年前の言葉が私に刻まれ続けていたのかもしれない。
今、思うに。

兄が亡くなった後の寮の部屋を長兄と母と父と私で、隣の県まで車で行き片付けた。

そうだ 兄の部屋を片付けたのだ。

その時ただただ心は絶望をしているのに
動かなくてはならなかったんだ。
私たちがそれをしなければ誰もそれをすることはないのだから。
兄の遺品を処分し続けた。
まるで、今の今まで寝ていたような兄の身体の形にそったしわが着いた布団も
その周りにある沢山の本や服や鍋や・・・・このカセットコンロでいつもうどんを茹でてもらった・・・

あぁ・・・・・・
この部屋は・・・・・似ている。
やけに麺類ばかり食べたくなって、さっきも茹でうどんをたべたばかり。
それは兄の部屋で食べていたものだ。

ああ  そうかぁ・・・・・・

兄の部屋を片付けた私は
そのショックを封じ込めたままだった

だから自分の部屋を片付けることが出来なくなっていたんだ


片付けることはもうとてつもない悲しみだったのだ

片付けられないはずだな・・・・・


あの日の絶望を
兄が亡くなったショックを
私は無意識の中に折りたたんでいたのだ
もう動けないほどの、生きたくなくなるほどの、あの感じを・・・

兄の事を
片付けられなかったんだ
兄の死の事を
わたしは


いや
片付けなかったんだ
片付けたくなかったんだ片しちゃだめだったんだ
片したら感じられなくなるから
私の大事な感情を感じられないままになってしまうから

本当はちゃんと悲しみたかったんだ
あの家では誰もそれを家族として分かち合えなかった
むしろ私が頼られていた
八つ当たりもされた
憎しみもわいた

でも それでもなんとかこなした

そう あれからなんとか生きてきた

あれから12年半

約13年

13年


私は自分の感情を感じられる日を待っていたのかもしれない
ちゃんと悲しめる日を
そう 脱力の中で


何も決める必要はない
何も求める必要も無い
命はちゃんとこうして生かしてくれるのだから
何も心配することは無いのだ



誰と比較をすることも無い
この花はひっそりと咲き続けていた
命というこの花は

安らぎは
成功の中にあるのではない

絶望という花の中に
眠っていた

希望を抱かなくても大丈夫だ

ここに
命はあるのだから


パンドラの箱の最後に出てきたものは希望だというけれども

私のパンドラの箱の最後はどうやら 命 だったらしい



無意識の水辺に咲く
花の名は命だ




蓮のように


泥の中から


咲いている
by olivelight | 2009-05-03 22:52 | 感じたままに
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